氷河期世代の生き直し

未だに迷う氷河期世代に

たいていの事は努力で何とかなる。〇か×か

 自分が幸せになれないのは、そういう宿命だから。運命だから。
 
 能力は最初から決まっていて、努力ではどうすることもできない。
 
 そう思い込んでいる方は結構多いのだな、と色々な相談事や愚痴を聞いていると実感します。
 
 私も若い頃はそう思っていたから、その気持ちはよくわかるのです。

 
 
 自分が努力したところで父が家に帰ってくることはないし、母のアル中だって治るわけがない。生活できるだけのお金が転がり込んでくるわけでもない。
 
 親の素行の悪さが原因で、とても大好きな人と別れざるを得なかった運命も、私がいくら頑張ったところで変わらない。そう思って、自分の生まれを恨み続けた日々がありました。
 
 プロフィールにも書いたような気がしますが、このまま親の人生の下敷きになってしまうのが嫌で20歳の頃に出奔し、夜の世界へ飛び込んで、半分自暴自棄になり自堕落な生活を送っていたある日、先輩のお姉さまに言われたことがあります。
 
 「恨みつらみを考えているその5分で、爪が磨けるよ」と。
 
 とてもカチンときたことを覚えています。「私の爪が汚いって言いたいの!?」と。しかし真意は「くだらないことを考えている時間を、自分のために使いなさい」というところにあった、という出来事がありました。
 
 そのお姉さまも中々波乱の人生を歩んでいたのですが、私の苦しかった過去の話を「くだらない」とぶった切った。それは、自分の力ではどうすることもできない、いわば「固定しておくことしかできない」事象に拘っている状態を指摘してくれたものでした。

 
 
 さて、話を「努力」に戻します。
 
 その指摘をいただくまで、私は自分の生まれという「どうやっても変えられないもの」にばかり目を向け、こだわっていました。
 
 そしてその時、目の前にある「自分の爪」のことを言われたとしか思えなかったのは、視野が狭くなっていて言われたことの本質を探ることができなかった故の事だと気付きました。
 
 今回はわたしの例ですが、このような場面は往々にしてあるのです。

 それから「自分の努力の方向」についてよく考えるようになりました。
 
 自分にはどうすることもできないこと。確かに頭の痛い問題であるし、大きな重りでもあります。けれど、人生に多少の差しさわりはあっても(私のように両思いでも別れざるを得ないとか)でも、生きていくことには何ら支障もないはずです。
 
 自分で頑張ればどうにかできる部分を探してみる。ただ生きるではなくて、少しでも楽しく生きることを考えてみる。
 
 ダイエットに成功すれば、服やメイクが同じでも全く違って見えてテンションが上がったりします。成長で、人は変わるのです。
 
 少しづつ成長を楽しみ、できた自分を愛でているうちに自分を好きになっていくことができて精神的な余裕も生まれる。それをずっと繰り返していくと、いつの間にか「自分ではどうすることもできない重り」が、少し軽くなったような気持ちになれる。
 
 それを繰り返しているうちに、自分の人生が変わってきたと言っても過言ではありません。
 
 努力を信じる人は、行動を止めないのです。

 最初の問いに戻ります。
 
 たいていの事は、努力で何とかなる。〇か×か。あなたはどう考えますか?